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カンボジアの基本情報
| 国名 | カンボジア王国 |
| 人口 | 約1310万人 |
| 面積 | 約18万1035k㎡ |
| 首都 | プノンペン |
| 政体 | 立憲君主制 |
| 元首 | ノロドム・シハモニ国王 |
| 首相 | フン・セン首相 |
| 公用語 | クメール語 |
| 民族 | 主にクメール人、その他ベトナム人・中国人など |
| 宗教 | 主に仏教徒(小乗仏教)、その他イスラム教・カトリックなど |
旅のお役立ち情報
時差
日本より2時間遅れ。 例)カンボジアが朝6時だと日本は朝8時。
通貨
通貨単位はリエル(Riel)。
観光エリア内ほとんどの場所でUS$の使用が可能。1ドル以下のおつりはリエルで支払われる。
なのでドルからリエルの両替はそれほどする必要なし。
1ドル=約4000R(2012年4月現在)
両替
空港・ホテル・銀行・両替屋等で日本円からUS$への両替可能。
ただしレートが悪いので日本で両替して来られることをお薦めします。
T/Cについては2~5%程度の手数料もしくは5$のFIX手数料(1000$まで)を取るところなどまちまち。
クレジットカード
高級ホテル・レストラン・土産物店等は使用できるところが多い。しかし手数料を取るところもあるので
使う前に確認した方が良い。
電話
ホテルなどで利用するのが一般的。街中であれば「電話屋」を利用。電話屋のシステムは、かけたい番号を伝え、通話終了後、通話分だけ払うというシステム。1分500R程度で利用可能。
★国際電話について
ホテル・公衆電話・郵便局等からかけられます。
1分約3$~4$。(ただし、ホテルからかけるとその倍以上はします。)
安さを求めるならインターネット屋のネットホォンがおすすめ。
インターネット
街中いたるところにインターネットカフェあり。1時間1$~
ただし、回線不調の時多し。。。そんな時は時間を改めて!
郵便
シェムリアップ郵便局(営業時間:07:00~17:30で無休)
日本へはハガキ2200R~、封書2300R~ 7~10日ぐらいで着くはず?!
(ただし、ホテル内で頼むと1枚1$~。)
国際電話・FAXの送受信も可能。EMS有り。
電圧
220V。日本の通常の電化製品には変圧器が必要。
水
水道水は飲めません。ホテルまたは小売店にて飲料水購入可能。
遺跡内では1本約1$。
トイレが近くなるから。。と水分を控えていると脱水症状を起こす危険性があるので水分補給はこまめに。。。
チップ
はっきりとしたチップの習慣はないが、ホテルやツアーガイド、ドライバーにはチップを。レストラン等では小額のおつりを渡すとスマート。
病院
2007年、シェムリアップに国際スタンダード総合病院「Royal Angkor International Hospital」がOPEN、バンコクの病院と提携していてしっかりしている。
日本より2時間遅れ。 例)カンボジアが朝6時だと日本は朝8時。
通貨
通貨単位はリエル(Riel)。
観光エリア内ほとんどの場所でUS$の使用が可能。1ドル以下のおつりはリエルで支払われる。
なのでドルからリエルの両替はそれほどする必要なし。
1ドル=約4000R(2012年4月現在)
両替
空港・ホテル・銀行・両替屋等で日本円からUS$への両替可能。
ただしレートが悪いので日本で両替して来られることをお薦めします。
T/Cについては2~5%程度の手数料もしくは5$のFIX手数料(1000$まで)を取るところなどまちまち。
クレジットカード
高級ホテル・レストラン・土産物店等は使用できるところが多い。しかし手数料を取るところもあるので
使う前に確認した方が良い。
電話
ホテルなどで利用するのが一般的。街中であれば「電話屋」を利用。電話屋のシステムは、かけたい番号を伝え、通話終了後、通話分だけ払うというシステム。1分500R程度で利用可能。
★国際電話について
ホテル・公衆電話・郵便局等からかけられます。
1分約3$~4$。(ただし、ホテルからかけるとその倍以上はします。)
安さを求めるならインターネット屋のネットホォンがおすすめ。
インターネット
街中いたるところにインターネットカフェあり。1時間1$~
ただし、回線不調の時多し。。。そんな時は時間を改めて!
郵便
シェムリアップ郵便局(営業時間:07:00~17:30で無休)
日本へはハガキ2200R~、封書2300R~ 7~10日ぐらいで着くはず?!
(ただし、ホテル内で頼むと1枚1$~。)
国際電話・FAXの送受信も可能。EMS有り。
電圧
220V。日本の通常の電化製品には変圧器が必要。
水
水道水は飲めません。ホテルまたは小売店にて飲料水購入可能。
遺跡内では1本約1$。
トイレが近くなるから。。と水分を控えていると脱水症状を起こす危険性があるので水分補給はこまめに。。。
チップ
はっきりとしたチップの習慣はないが、ホテルやツアーガイド、ドライバーにはチップを。レストラン等では小額のおつりを渡すとスマート。
病院
2007年、シェムリアップに国際スタンダード総合病院「Royal Angkor International Hospital」がOPEN、バンコクの病院と提携していてしっかりしている。
カンボジアの気候
カンボジアの気候は、大きく分けると乾期と雨期。乾期は、11月~4月、雨期は、5月~10月。一番暑い時期は、4月で灼熱期とも言われ気温は40℃を超えることもしばしば。逆に一番涼しいのは、11月~1月で朝夕は、長袖が必要なくらいに。
乾期は、ほとんど雨が降らず観光にはベストシーズン!木陰に入ると、冷たい風が心地よく通り過ぎていきます。雨期は、毎日の様に朝や夕方にスコールが降ります。
年間平均は、約27℃。4月は、40℃を超えますが、それ以外の月は35℃前後が最高気温です。しかし日本の35℃とは少し違います。ここの太陽は想像以上に強いので日差しには気をつけてください。
乾期は、ほとんど雨が降らず観光にはベストシーズン!木陰に入ると、冷たい風が心地よく通り過ぎていきます。雨期は、毎日の様に朝や夕方にスコールが降ります。
年間平均は、約27℃。4月は、40℃を超えますが、それ以外の月は35℃前後が最高気温です。しかし日本の35℃とは少し違います。ここの太陽は想像以上に強いので日差しには気をつけてください。
カンボジアの歴史(簡単に)
紀元前4200年頃から、カンボジアに人が住んでいたのではないかと推測されている。紀元前後からは、インド商人がインドシナ半島南部に来航していたとされている。2世紀に入り、インド文化の影響を受けた『扶南』が、カンボジア南部のメコンデルタ地帯に建国された。その後、802年にジャヤバルマン2世が現れるまで国内は混乱の渦中にいた。
802年・ジャヤバルマン2世は、アンコール朝をクーレン山に創設した。ここが、アンコール王朝発祥の地である。
続くインドラバルマン1世は、都を今のロリュオス地方に移し首都を『ハリハラーラヤ』とした。その後、都はヤショーバルマン1世により『ヤショーダラプラ』とされ、今のアンコールワットなどがある地域に移された。その中心に建つのがプノンバケンになる。約550年にも渡り都城や寺院が建築されていくことになる。
11世紀は、アンコール王朝にとって華やかな時である。まず、1113年にスーリヤバルマン2世によりアンコールワットが建築される。その後、1177年にチャンパの支配下になるものの、1181年には、ジャヤバルマン7世によりアンコールの地を取り戻す。この後、アンコール朝はどんどん勢いを増しインドシナ半島のほぼ全域を手に入れる。
しかし、ジャヤバルマン7世の後、アンコール朝は衰退していく。1431年3度目のシャム(現タイ)軍の攻撃でついに、アンコールの王都陥落を迎える。
1528年、アン・チャン1世が新王都ロンヴァエクを造営する。1546年には、アンコールワットの修復にのり出す。しかし、1594年、王都ロンヴァエクが陥落する。
1623年、王都をウドンに建設した。この時期と平行して東南アジアに多くの日本人町が形成されていた。その後のカンボジアは、諸外国の影響を強く受けていく。1795年、シェムリアップ州、バッタンバン州をシャム領となる。1841年、 朝がカンボジアを併合。1860年、フランスの博物学者兼探検家である、アンリ・ムーオがアンコール遺跡を(再)発見。その後、1863年に、フランス-カンボジア保護条約が結ばれ、1884年に事実上のフランス支配がはじまる。1907年にタイよりシェムリアップ州を含む3州が戻る。
1953年、長年続いたフランスの植民地支配からの独立を果たす。が、1970年にロン・ノル将軍によってシアヌーク国王は、国家元首を解任されてしまう。
このロン・ノル政権を打ち破ったのが、ポル・ポト軍である。『クメール・ルージュ』は、中国に亡命中のシアヌーク国王と手を組み国民の支持を得た。
1975年4月17日、ついにクメール・ルージュがプノンペンを制圧した。が、本当の悲劇はここからであった。
1979年1月7日、ベトナム軍によりポルポト派は壊滅させられる。しかし、これでカンボジアにはまだ平和が訪れなかった。内戦が続き、カンボジアの地には数え切れない地雷が埋められた。
1992年からは、UNTACがカンボジアの新政府樹立の援助をするためにあらゆる分野の協力を実施した。
1993年には、カンボジア初の総選挙が実施された。この混乱時に、日本人の犠牲も出ている。選挙の結果、第一首相:ラナリット首相 第二首相:フンセン首相と一国に2人の首相がいる変わった政権が誕生した。
1998年には、第二回目の総選挙が行われ、第二首相だったフンセン首相が、唯一の首相として誕生した。
現在は、観光客が大勢訪れる観光立国として歩き出している。(現在に至る)
802年・ジャヤバルマン2世は、アンコール朝をクーレン山に創設した。ここが、アンコール王朝発祥の地である。
続くインドラバルマン1世は、都を今のロリュオス地方に移し首都を『ハリハラーラヤ』とした。その後、都はヤショーバルマン1世により『ヤショーダラプラ』とされ、今のアンコールワットなどがある地域に移された。その中心に建つのがプノンバケンになる。約550年にも渡り都城や寺院が建築されていくことになる。
11世紀は、アンコール王朝にとって華やかな時である。まず、1113年にスーリヤバルマン2世によりアンコールワットが建築される。その後、1177年にチャンパの支配下になるものの、1181年には、ジャヤバルマン7世によりアンコールの地を取り戻す。この後、アンコール朝はどんどん勢いを増しインドシナ半島のほぼ全域を手に入れる。
しかし、ジャヤバルマン7世の後、アンコール朝は衰退していく。1431年3度目のシャム(現タイ)軍の攻撃でついに、アンコールの王都陥落を迎える。
1528年、アン・チャン1世が新王都ロンヴァエクを造営する。1546年には、アンコールワットの修復にのり出す。しかし、1594年、王都ロンヴァエクが陥落する。
1623年、王都をウドンに建設した。この時期と平行して東南アジアに多くの日本人町が形成されていた。その後のカンボジアは、諸外国の影響を強く受けていく。1795年、シェムリアップ州、バッタンバン州をシャム領となる。1841年、 朝がカンボジアを併合。1860年、フランスの博物学者兼探検家である、アンリ・ムーオがアンコール遺跡を(再)発見。その後、1863年に、フランス-カンボジア保護条約が結ばれ、1884年に事実上のフランス支配がはじまる。1907年にタイよりシェムリアップ州を含む3州が戻る。
1953年、長年続いたフランスの植民地支配からの独立を果たす。が、1970年にロン・ノル将軍によってシアヌーク国王は、国家元首を解任されてしまう。
このロン・ノル政権を打ち破ったのが、ポル・ポト軍である。『クメール・ルージュ』は、中国に亡命中のシアヌーク国王と手を組み国民の支持を得た。
1975年4月17日、ついにクメール・ルージュがプノンペンを制圧した。が、本当の悲劇はここからであった。
1979年1月7日、ベトナム軍によりポルポト派は壊滅させられる。しかし、これでカンボジアにはまだ平和が訪れなかった。内戦が続き、カンボジアの地には数え切れない地雷が埋められた。
1992年からは、UNTACがカンボジアの新政府樹立の援助をするためにあらゆる分野の協力を実施した。
1993年には、カンボジア初の総選挙が実施された。この混乱時に、日本人の犠牲も出ている。選挙の結果、第一首相:ラナリット首相 第二首相:フンセン首相と一国に2人の首相がいる変わった政権が誕生した。
1998年には、第二回目の総選挙が行われ、第二首相だったフンセン首相が、唯一の首相として誕生した。
現在は、観光客が大勢訪れる観光立国として歩き出している。(現在に至る)
この改行は必要→




